
何をしようも他人の目が気になる。

どう思われているかと思うと、一歩が踏み出せない。
自分にはしたいことが山のようにある。
しかし、他人の目や意見が気になってこれまで、出来なかったことがある。
これで悩んでいる人は非常に多い。
特に日本人はそうなのかもしれない。
他人の目の為に自分の行動を制限された挙句、実際他人というのは、そんなあなたを評価していない…どころか見ていないのが現状だ。
何せ、その人も他人の目や意見の為に生きるのに必死だからだ。
そんな人に好き勝手生きている私から今回、他人の目が気になる、どう思われているのか気になる人にヤバい事実を突きつけようと思う。
この記事を書いた私は、好きな事だけをして、生きていきたいと思い、起業してM&Aにて会社売却して現在、プロニート(職業的無職)という一般的には許容しがたい生活をしている。
他人の目が気になる方へ朗報です
誰もあなたの事を中心に考えて生きていません。
あなた自身、誰のことを考えて生きているだろうか?
親、兄弟ですら、あなたの事を24時間思って生きていない。
将来の事、今日あったこと、過去に起こった出来事、どんな人もこれらの事は、まず自分を中心に考える。
他人の目が気になるあなたも、例外なくそうだと思う。
他人の将来や、他人の今日あったこと、他人の過去に起こった出来事を真剣に、しかも自分より優先に考えるだろうか?
これは、あなただけでなくほぼ地球人全て同じだ。
だから、あなたのすること・言ったことというのは、他人にとっては気にしているようであなたが思っているほど気にしていない。
どんな有名人の事であっても、同じだ。
ましてや有名人でもないあなたの事は、日頃は他人の頭の片隅にすらないかもしれない。
あなたが気にしているほど、他人は思った以上にあなたの事は気にしていない。
これが事実だ。
それでもどう思われているのか気になる
他人がこんなふうに思っているのではないか?あんな風に思われている、というのはあなたの勝手な思いこみではなかろうか?
他人の思考を読み取るのは通常不可能だ。
あなたが何かして、周りがこう思っているだろう、というのはあなたの勝手な想像であって事実ではない。
だから、他人があなたの事をどう思っているのかというのは、一方的なあなたの“想像”であって“事実”ではない。
例えば、道端でずっこけた女の人を見て、あなたはどう思うだろうか?
ずっこけた女の人は、恥ずかしそうにその場を逃げるかのように立ち去る姿が容易にめに浮かぶだろう。
この女の人は、ずっこけたことに対して周りから嘲笑されているかと思っているだろう。
しかし、大方、周りは嘲笑よりも心配の方が先だろう。
そして、2時間も経てば顔、姿どころかずっこけた女性がいたことすら忘れているだろう。
このくらい他人のことなんて頭に残らない。
一歩踏み出せない損失はでかい
他人の目や意見が気になるということだけで、やりたいことが出来ないということは、非常に大きな損失だ。
先程の話しの通り、他人があなたをどう見ているか、どう思っているかというのは、あなたの想像でしかない。
そもそも気にもかけていないかもしれない。
こんな不確定要素の為にしたいことが出来ないというのは非常にもったいないことではないだろうか。
私が受けた起業相談
かつて、とある男性から起業したいと相談を受けたことがある。
しかし、どうしても一歩踏み出せないとのこと。
したいことがあるのに、一歩踏み出せない理由がよく理解できないのだが、なぜ一歩踏み出せないのかと聞くと、失敗したときの恐怖らしい。
しかし、よくよく聞いてみると失敗よりも、失敗した時の周囲の反応が怖いらしい。
確かに起業して、失敗すると一時の噂くらいにはなるだろう。
しかし、100日も経てば頭の片隅にもないだろう。
みんな自分のことで必死な中、あなたの起業の失敗について四六時中考えている人はいない。
たとえ、親であっても。
破産したほうが良いときは、破産していいし、生活保護の世話になるときは、再起するまで世話になっていい。
そのことについて、他人は真剣にどうも思っていない。
それでも他人に良く思われたいあなたへ
そう良く思われたとしても、1円の価値にもならない。
むしろ、良く思われる為の見栄やプライドは、価値を生み出すどころか、自分の資産を減らすことになる。
人の価値観に合う人間になるためには、必要としない物をそろえたり、したくもない事をしなければいけなくなる。
まだ、お金をかけるだけならいいのかもしれない。
しかし、最も最悪なのは“寿命”を削ることだ。
したくもない事に、時間をかける。
例えば、他人、親が喜びそうな仕事をすること、人に認めてもらえそうな人と付き合う。
自分が本当にしたいことに、限りある時間を他人の為だけに使う。
しかも、その当の他人は何とも思っちゃいない。
先ほども言ったように、自分の事でみんな精いっぱいだから。
そうやって、人にとって一番重要でかつ唯一平等な資産である、時間=寿命という資産を無駄に削ることになる。
時間さえあれば、お金はいくらでも作ることができる。
しかし、幻想の他人のための時間を使うと、したくもないストレスを抱えながら、時間やお金といった資産を捨てることになる。
あなたが他人を変えることはできない
自分を変えることができない人間が、ましてや他人を変えることなどできない。
自分というのは、自分の“努力の範囲内”に存在する。
しかし、他人は“自分の努力の範囲外”だ。
他人の思考や行動を自分の思ったように操ることができるだろうか?
他人の好みそうな、職業、結婚相手を選んでも、実際どう思われるかなんてわからない。
その結果、認められるか否かは、ギャンブルだ。
その日の気分によっても変わるかもしれない。
そんなことに自分を差し出せるだろうか?
そもそも、自分の行動で相手を喜ばせることができると確信しているなんて実は超・傲慢人間だ。
良いと思うか・なんとも思わないか、悪く思うかなんて当の本人に決定権がある。
自分だってそうだろう。
それを自分の選択によって変えられると思い込んでる人は、だいぶ自分の能力を過信している。
仮に自分の選択によって人の感情や気分の変えられるのであれば、世界を変えることができるだろう。
本当にそうなのだろうか?
“誰かの為”の選択肢は幻想だ
誰かの為という、超・一方的押しつけは、結局のところ幻想だ。
親を喜ばせるため、友人・知人に賞賛を得るため…そのために行動しても、思ったような反応が見られなかったら絶望する人が絶賛増大中だ。
親の為、子供の為、友人・知人のにどう思われるかの為に、これまで自分の行動がなされたり、もしくは行動できなかったりした経験がある・今もそうだ、という人を激変させるツールがある。
それが、
この本だ。
恐らく、この本を読んで、これ以上他人の目が気になる症候群が治らない人はいないだろう。
これくらい、強力なツールだと思う。
かくいう私も手元に1冊ある。
会話形式の本で読みやすいので、ぜひおすすめだ。
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