
集団生活がだんだん苦痛になってきた…

2020年の自粛のおかげで、これまでのように群れないで生きていくことが可能になったと思う。
毎日集団生活をしなくても本当は良かったのではないかと思う。
特に、会社の飲み会など、毎回群れていたことが実はムダだったのではないかと思えるようになってきた。
その通り、この日本の現代社会において群れる必要はない…どころかダサいし、失うことが多くなる。
群れることで何を失うか?
それは、以下でお話できればと思う。
この記事を書いた私は…
これまで、サラリーマンから経営者まで経験していたが、人脈や集団行動を自分で制限することでかえって時間ができて、無駄な出費もなくなり豊かになった。
そして何より、本当に大事な人に時間もお金もかけることができるようになった。
恩人の為にも群れないという生き方を
自分のために群れないほうが良いというのは聞いたことがある人も多いと思う。
しかし、今回は、本当に大事な人のために群れないという生き方を選択することについて。
というのも、2020年は中々、これまでのように外に出る機会も少なくなったし、人間関係を見つめなおすいい機会になったと思う。
これまで、なんとなく付き合っていた同僚や上司、同級生。
飲み会に誘われたら、なんとなくOKの返事を出して参加…など。
しかし、2020年は一変してこのような、なんとなくの付き合いすらままならなくなった。
そこで、多くの人が時間を持て余すようになった。(もちろん反対に繁忙になった人もいるだろうが)
恐らく今後も、これまでと同じような日常は戻らないだろうし、むしろもう戻らなくてもいいという人も実は多いのではないかと思う。
というのも、自分の時間を持つことができたことに加え、これまでいかに無駄に群れていたのか気付かされた。
それと同時に本当に今後付き合わなければいけない人も分かったと思う。
そして、今後多くの人は、自分にとって大事な人や、恩人の為に時間とお金を使うことになる。
群れて多くの人と交わり続けるということは、その分自分にとっての恩人や大事な人と過ごす時間やお金も少なくなるということ。
サラリーマンで群れないのは難しい?
これまでは、この事実に気付くことが自分も含めて周りの上司や同僚もなかっただろうからそうかもしれない。
しかし、これからは、群れずにサラリーマンを続けることの方がスタンダードになる。
なぜなら、自分だけでなく周囲の人間も、2020年に群れて生きることに無意味だと感じているはずだ。
なので、今後群れずに生きていくことは超・容易になる。
先日面白い事実を、とあるニュースで見た。
それは、在宅時間が増え、レジャーでなく副業に時間を割いている人が増えているということ。
これまでは、群れることに無意味だと気付いて、群れることを止めた人の特権的な時間の使い方だったが、これがスタンダードになりつつある。
人々がだんだん賢く生きるようになる。
そうすることで、これまで以上の収入を得る人も多くなるだろう。
そして、増えた収入を自分の好きな人と過ごすために使うだろう。
もう、なんとなく参加していた終業後の飲み会には使わなくなる。
なぜなら、群れる必要がない事に気付いたからだ。
だから、今後サラリーマンでも群れないで生きることは非常に容易になる。
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好き嫌いはハッキリさせることから
群れない生き方初心者が増えるということだ。
なので、群れずに幸福感を感じるたった一つの方法を伝授したい。
それは、好き嫌いをハッキリさせて、いわゆるワガママになることだ。
好き嫌いをハッキリさせて、自分の好きなこと・好きな人だけに時間とお金を使うこと。
人は元々、本能的に集団生活をして生きてきた。
人類始まって以来、2019年までそうだった。
しかし、これから群れないで生きることが当たり前になる。
だが、ついさっきまで群れて生きてきて人にとっては、少々不安もあるだろう。
そもそも、自分の限りある時間やお金は自由に使っていいはずだ。
これまでは、同調圧力で、なんとなく気が乗らなくても、参加してきたイベントが多々あったほずだ。
もしかすると、参加しなければ生きていけないとさえ考えていたかもしれない。
しかし、それは2020年が解決してくれた。
全員参加しなくとも無事生きていけている。
これまで、我慢して時間を割いて、お小遣いをはたいて気が乗らないことに参加してきた事は何だったのだろうか。
もう、嫌な人、気の乗らないことに無理矢理参加する必要はないし、しなくても生きていける。
自分の義務を果たし、そして自分の好きなこと、好きな人だけにお金と時間を使えばいい。
これまでは、これを世間はワガママ、我慢しろ、仕事のうちだ、と強いてきた。
自分の時間やお金は自分の物だ。
ワガママにならないほうが狂ってる。
当然の権利だ。
要は、これまで家に帰っても寂しい、何もすることがない一部の人たちに、仕事っぽい理由をつけられて無理強いをさせられていた。
もう、そんなことをしなくても生きていけるというのは証明された。
人にも、物にもハッキリ好き嫌いを言って、ワガママになろう。
群れること自体、金と時間の浪費
群れることで、本来得られていたものが、いかに得られていなかったのか気付いた人も多いと思う。
時間と金は、無限ではないからだ。
特に時間は、刻一刻と削られている。
無駄な飲み会や会合をキャンセルすることで、本来ならば副業で稼げていたかもしれない。
家族や、本当に大事な友人ともっと時間を共有できたかもしれない。
プレゼントもできたかもしれない。
群れることで、失う感覚はなかったのかもしれないが、実際は本当に大事なことや人との時間を失っていた。
もう、仕事を言い訳に、無理強いさせられることは無いし、堂々と断っていい。
群れなければ生きていけないというのが嘘だ、ということにもうみんな気付いたからだ。
もっと言うと、大切な人と豊かに過ごすために働いているのではないのだろうか?
多くの人にとって仕事は、手段だったはずだ。
頑張って結果を出せば出すほど、豊かになるはずだったのではないだろうか?
それがいつの間にか目的となり、無理強いを受け入れてまでも我慢するようになっていた、いわば異常な状態だったのだ。
群れれば、群れるほど寂しい人たちが集まり、それらしい言い訳や仕事を盾にしてあなたの時間と金を奪う。
群れなければチャンスを逸する?
これもいいわけだ。
むしろ、群れないほうがチャンスを得る機会が多い。
群れることで、自分はチャンスを掴みに行っているんだ、と言い訳をしている。
そして、得てして大群というのは、どれも同じに見える。
みんなと同じに見える人には、チャンスはない。
群れることで、実際にチャンスを得て、人生が激変した人を見たことがあるだろうか?
むしろ、人生を切り開く人はいつも、群れない・媚びない。
群れることで、外から全員同じに見える。
大所帯のアイドルグループの、顔の区別がつかない&名前が覚えられない現象と同じだ。
そもそも、群れて他人を当てにしないとチャンスが得られない人は、仮にチャンスを得られたにしても、やはり他力本願。
なので、群れではまず、チャンスは訪れないし、仮にチャンスが訪れたにしても、そのチャンスを使いこなす実力は養われことはない。
責任の擦り付け合い、成果の奪い合いのような醜い戦の予感さえする。
災いは、人の数が多くなればなるほど、比例して発生するものだ。
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本当に大事な人・尊敬する人にフルベットする
もう、浅く広くの時代は終わった。
本当に大事な人・尊敬する人だけに自分の時間と金をフルベットしよう。
投資は分散投資が基本だが、人間関係の分散投資は損をする。
付き合う人を自分で、制限するだけでお互い幸せになる。
群れていれば、本当に感謝すべき人への感謝がおろそかになる。
群れて金も時間も使い果たしていれば、これまで受けた恩を返すことすら忘れてしまう。
群れないという生き方は、自分の為でもある。
しかし、それ以上に他人の為である。
感謝すべき人のためにも、恩返しするためにも群れるという生き方はもうやめよう。
これからは、信用を築くべきだろう。
群れるのは弱者の生存戦略なので全否定はしない
それでも、群れたい・群れないと不安というなら、そうしたほうが良い。
なぜなら、弱肉強食の【弱肉】の食われる側、弱い動物は必ず群れるし、そうでなければ一点集中で【強食】の動物に狙われるからだ。
これは、人間も同じ。
群れなければ不安、というのはサバンナのバンビと同じ心理状態だ。
むしろ、バンビは群れて少しでも食われないように生きるべきだ。
ゲームであれ、動物・昆虫の世界でも、雑魚キャラは必ずいる。
しかし、雑魚キャラは雑魚キャラなりに、勝つ方法を知っているのだ。
タイマンでは勝てないことは本能的に理解している。
だから、集団戦法に出てて来る。
1匹1匹当たりの力は弱いが、100も1000も集まれば、勝てる可能性もあることを雑魚キャラは知っている。
これも生存戦略の一つだから、全否定はしない。
だが、ここは現代の日本。
動物に襲われる可能性もなければ、タイマンの戦いなんてもってのほかだ。
群れる必要性がないのだ。
必要のない事をすれば、必ず損をすることは、当たり前。
なので、群れる生存戦略をとることを全否定はしないが、長期的に損をすることだけは理解して群れたほうが良い。
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