人生消化試合っぽく感じる原因は【期待しすぎ】ということが判明

プロニート生活

人生が消化試合のように思える。同じような人他にいる?

残りの人生どのように過ごしていけばいいのだろうか?

人生がとてもつまらなく感じる。

この先の見込みもなさそう、しかもこの先の人生の方が長いっぽい。

なんで、このように感じるのか、そしてどうすればいいのか、他に人生消化試合っぽくなっている人の話が聞きたい。

実をいうと、私も人生消化試合満載で、それを実感して生きている。

記憶に残らないくらい同じ毎日を過ごしていたサラリーマン時代を経て、起業して5年後に会社を売却することができた。

しかし、その後特にすることもなくプロニートとして人生を消化している。

そこで今回、残りの人生消化試合だと感じている者同士、情報共有しようかと思う。

ここで記載されている、何か他に良い人生消化法があればメールででもおしえてほしいくらい。

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人生消化試合っぽく感じる原因は“期待しすぎ”ということが判明

残りの人生消化試合だと感じる人は少なくない。

というのも私もその一人で、今現在も、のうのうと残りの消化試合を生きているからだ。

ただし、私の場合は、人生消化試合ということを受け入れている、という点ではこの記事を読んでいる皆さんとは少し違うかなと。

そもそも“残りの人生消化試合”という風に感じる人の特徴としては、

  • まずはやりたいことがないorなくなった
  • またはやり切った

このような人が人生消化試合に感じるのではないだろうか。

そして、すでに先細りの人生が見えている、人生の上限が見えているからではないだろうか?

私の場合は、27歳で起業して32歳でバイアウト。

すでにやりたいことを、キレイな形でやり切った。

もし、ここで起業した会社が、倒産したりすれば挽回とか復活とか考えて、消化試合感はなかったのかもしれない。

しかし、良いのか悪いのかキレイな形で終わったので、やることがないのだ。

プロニートとして、現在もわずかながらに生きていくだけの収入は得ているが、これまで情熱を注いでしてきた事ほど、やりがいはない。

いつまで続くか分からないこのプロニートとして、とりあえず残りの人生を消化しているという感じだ。

人生消化試合ということは理解し、受け入れているが、悲観はしていない。

人生消化試合を悲観している人は【期待しすぎ】

人生消化試合ということを感じて悲観している人は【期待しすぎ】が原因。

仕事や人間関係から生まれる【結果】に対して期待値が高すぎると、思い通りにならなかった時に、期待していた結果と現実のギャップに落胆する。

1.毎日大してやりたくもない仕事をこなしても一向に人生楽にはならない

→無理して頑張ったことに対しての“結果”に対して期待しすぎ、サラリーマンは会社から金引っ張ってこられたらOK,そこに更にやりがいだとか、自分の期待値の高いものを勝手に求めない

2.先細った人生、同じことを繰り返している人生が見えている

→いつかは華やかな人生を送ることができるだろうという期待値が高すぎ。犬猫なんて「生きる意味」とか概念もない。人も動物。生きるために生きられればOK

3.やり切った、生きがいを失った

→そもそもこれまで、やり切りたいこと、生きがいがあったことの方がレアな状態。無理やり探して見つかるもんでもない。頑張ったらまた何か見つかるだろう、ということに対しての期待値が高すぎ

4.やりたいことがない、単調すぎる毎日

→基本そんなやりたいことなんて見つからない。無理して頑張って何か見つけようとすれば、何か見つかるのではないかと行動する人も多い。そんな人は頑張ったことに対する見返りの期待値が高すぎ

そもそも、相手や結果に期待するのは動物界では恐らく人間だけ。

間違いなく“生きがい”や“生きる意味”など複雑なことを考えているのは人間だけ。

人を含めた動物は、自然界の弱肉強食などのバランスを保つために生まれている。

自然界にとって実はそれ以上は求められていない。

とりあえず、食って寝てを繰り返して、適正な数の子孫を残して自然界のバランスを保ってもらえれば地球的にはOKなのだ。

だから、“生きがい”や“生きる意味”なんてものは勝手に人間が生み出した【虚構】だ。

その辺の野良猫を見てみるといい。

例外なく“生きる意味”なんて思考していない。

ましてや「いずれ死ぬ」という“死”の概念さえないだろう。

良くも悪くも人間は脳が発達しすぎたのかもしれない。

この自然には全く求められていない、勝手に頭の中で作り出された【虚構】の期待値が高すぎると悲観するのだろう。

人を含めた動物は、そもそも人生を消化することを自然界から求められている。

だから、人生消化試合と感じているのは正解だ。

しっかり人として真っ当に働いているということだ。

だから、そのまま消化していけばいい。

好きなことがあればor見つかれば、それをしながら【消化】していけばいい。

無ければ、やっぱりそのまま消化試合をこなしておけばいい。

しかし頭の中にある、生きがいや生きる意味など【虚構】には苦しまないようにしたいもの。

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人生消化試合の消化の仕方【人生宝くじ感覚】で生きよ

もしかすると【宝くじ】思考が人生消化試合で悲観している人には最強なんじゃないかと思っている。

宝くじを買う人は当たらなくてもさして、悲観することがない。

それは期待値が低いことを受け入れているからだ。

外れたらどうしよう…とは悩まない。

むしろ当たったらどうするww?みたいな感じではないだろうか。

このくらいの期待値で人や仕事などに私は接している。

宝くじは買うことで大金が手に入る可能性は0ではないが、それを当てに生活している人はいないだろう。

夢が叶う確率はあるが、全く期待はしていない。

「でも可能性ゼロじゃないぞー」的な感じ。

人生消化試合であればこのくらいの宝くじの延長的な感じで過ごしていけばいいのではないだろうか?

この宝くじ的な思考がとても生きるのは、例えば…

1.結婚するために婚活

→めっちゃお金と時間をかけて、それでもいい結果が伴わなくてメッチャ落ち込んでいる人は結構いる。はじめから結果に対して自分で勝手に期待値上げてる。

2.裕福になりたい、金持ちになりたいけど…

→鳴かず飛ばず、年齢的にも先が見えている…このことで残りの人生消化試合感満載で時間している人は、たぶん今後もこれまでと同じ人生が死ぬまで繰り返される。しかし、宝くじと同じで可能性だけは残して置こう。副業始めるとか、投資するとか。しかしそこにも【宝くじ】的な感覚で臨まないとまた失望して続かないし、また悲観する。一発当たればいいなくらいで続けていれば期の紛れにはなるのではないか。

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期待値は【宝くじ】並みでとりあえず可能性だけは残して置こう

金を稼ぎたいのであれば、稼ぐ為の副業や投資。

結婚したいのであれば、婚活。

自分の中の期待値を宝くじ並みに下げて、とりあえずやり続けてみることは心の支えになるのではないかと思う。

当たらなくても何年も宝くじを買い続けている人みたいな。

買わなければ確率は0になる。

しかし、買い続けていれば確率は0ではない。

かといって全くあてにはしない。

このスタンスでとりあえず夢の可能性だけは残し続けていれば、今後良い消化試合ができると思う。

サラリーマン生活で先が見えてるのであれば、割り切って会社を“投資や副業するための金をくれるマシン”と思って消化すればいい。

そして振り込まれたお金で、副業や投資をして宝くじのように一発狙えばいい。

ブログだってそうだ。

ブログで月に300万円も500万円も稼ぐ人は実在する。

それに可能性を期待値高めで感じて始める人も多い。

仮に私がそのことに期待値を高く見積もっていたら、この記事は存在しないだろう。

しかし、多くの人が結果に対する期待値が高いせいで、結果が出なければ失望して辞める、悲観する。

可能性を0にいきなりするのではなく、とりあえず期待せずに時間を消化していればいいのにと思う。

暇な時間というのは得てして長く感じる。

人生消化試合だと気づいた人は特にそうではないだろうか?

そうであれば、とりあえず宝くじを買う感覚で、夢の可能性に時間を消化すれば、体感速度少し早めで人生を消化できる。

何度も言うが“宝くじ”なので期待はしない、夢は持っておく。

そのために会社から金を毎日引っ張ってきている、と思って出社すればいいのではないか。

まあ、人生消化試合の話なので参考までに。ご自由に。

 

追記:私が毎朝行っている人生の消化法の一つのウォーキング。そこで撮った桜島の写真。

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